第3章 キミが居た場処-5

 

 中学生で、許婚がいる?

 そんなのきっと、汚らわしいって思われて当たり前。

 あたし自身だってピンと来ない。許婚って何?どうして好きでもない人と、将来のことを勝手に決められるの?

 

 リツは母替わりだ、灯里の唯一の後ろ盾だ。でもだからと言って、こればかりは灯里も素直に納得できなかった。

 父に相談しても、かつて同じような体験をして、結果リツを裏切り、周りを不幸にした負い目がある父は優柔不断で頼りにならない。とうとう灯里は正面切って、初めてリツに正直な気持ちを告げた。

「勝哉さんを好きじゃありません。好きじゃない人と、どうして許婚にならなければいけないんですか?」

 

「好きになればいいのです」

 それに対するリツの答えは、にべもないものだった。

「そんなこと…」

「勝哉は、たいへん腕のいい板前です。見た目だって悪くないし、性格だってさっぱりとしています。好きになれないなんて、努力が足りないんです」

 人を好きだと想う気持ちが、努力ではどうにもならないことを、不幸なことにリツは知らなかった。

「お祖母様はお祖父様のことを、努力で好きになったのですか?」

「まぁ、何を言うの?」

 灯里の言葉にリツは眼を見開いて、本当に可笑しそうに笑った。

「私は、真面目で腕がよくて、優しいお祖父様が最初から好きでしたよ」

 話が噛み合わないのを、まだ中学生の灯里はどうしていいかわからなかったが、それでも食い下がった。

 

「繭里では、ダメなんですか?」

 繭里が、勝哉のことをカッコいいと言っていたのを思い出したのだ。

「北賀楼を継ぐのは灯里、あなたです。繭里はその器ではありません」

「繭里が努力をしても?」

 そう問う灯里に、リツはさも話にならないといった様子で、顔をしかめながら手を振った。

「努力では、どうにもならないものもあるのよ。人の器とか、才能とかね」

 自分の考えや決定はいつも正しく絶対だと思い込んでいるようなリツに、灯里はそれでも一縷いちるの望みを繋いで言った。

 

「お祖母様、お願いがあります」

「なんですか?」

「大学に行かせてください。家を継ぐのは、卒業してからにしてください」

 そう頭を下げる灯里を、リツは少し疑わしそうな眼で見た。

「県内の短大なら、認めましょう。ここから通えないところはダメです。独り暮らしなんかして、ヘンな虫でもついたら…。勝哉との結婚は、短大卒業後ということで認めましょう」

 家を継ぐと言った灯里の言葉を、わざわざ勝哉との結婚と言い直して、それでもリツなりの譲歩を見せた。これ以上は期待できないと思った灯里は、その場は「はい」と言って引き下がったが…。

 

 灯里が行きたいのは短大ではない、4年制大学だ。しかも東京の。ここしか知らない故郷を離れて、たった4年間でもいい、もっと広いまだ知らない世界を見てみたかった。

 それに。その4年間でもしかしたら、なにか状況が変わるかもしれない。というか、それを祈るように願うしかない灯里だった。

 

 

✵ ✵ ✵

 

 灯里が高校へ入学すると、リツは宣言通り、灯里と勝哉を許婚としたことを取引先や常連客等に発表した。灯里の運命が、本人を置き去りにしたまま決定されていく、その理不尽さに意義を唱える大人は灯里の周りにはいなかった。

 柊は、正式にふたりが許婚になったことを母の瞳から訊かされた。

「灯里ちゃんは納得したのかしら。まだ高校1年生なのに、何もわかっていないでしょうに、なんだか可哀想」

 

 あの日、灯里の新体操を見て、自分自身を汚らわしいと思った日から、柊は以前のように灯里に対して笑えなくなっていた。

 灯里の澄んだ眼に自分のよこしまな欲求を見透かされそうで、柊は不自然に眼を背けるようになった。そしてそんな柊を、灯里は許婚のことを知ってしまったからだと誤解した。

 そんなときに訊かされた、灯里の定められた将来。

 もう灯里は完全に自分の手の届かないところに行ってしまったのだと、柊は愕然とした。

 でも、灯里の気持ちは?本当に勝哉を好きで、許婚になるのか?

 混乱しながらも、心配するのは灯里の本心だ。

 

 真新しい高校の制服に変わっただけで、また遠くに行ってしまったような気がする灯里。

 僕はまだ中学生で、再び灯里に置いてきぼりにされて捕まえられない。これじゃあ、永遠の追いかけっこじゃないか。

 しかも、許婚だなんて…。もう、灯里を追いかけることすら許されないのか?

 こんなに想い続けてきたキミなのに。誰よりも大切なひとなのに。キミが僕だけに微笑んでくれる奇跡は、もう永遠に来ないのだろうか。

 

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