25時のすうぷ 第1話

25時のすうぷ
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第1話 コインの表と裏

 

 ママは言った。

はるひちゃん、妄想は人の心を救うわ、妄想は人だけに許された極上の贅沢品なの、だってそうでしょ、はるひちゃんの飼っているウサギのめぇめだって、とうまくんの飼っているカメのひょこひょこだって、妄想したりしないわ、きっと、だからね、嫌なことや苦しいことや、悲しいことがあったら、妄想してみるの、そうしたら気分がよくなって、楽しくなって、笑いたくなって、スキップしたくなって、空まで飛んでいけるわ、きっと、

 

 絵本を読んでもらっていた。寝る前に。私、春灯は5歳、弟の冬馬は3歳。

 でもママは最初こそ絵本を読んでいるのだけれど、途中からそれはママの妄想にすり替わっていって、いつもお話が終わらなくなってしまう。不思議で、放っておいたらきっと永遠に終わることのないママの話を聞きながら、私と弟は毎晩眠りについた。

 

 そしてある日、ママは風船になってお空に飛んで行ってしまった。

 

 それからずっと、私と冬馬は、おばあちゃんと住んでいる。パパはお仕事で世界中を飛び回っているのだそうで、お家に帰ってくるのは年に3回くらい。いつも突然、お土産をたくさん抱えて帰ってくる。幼い頃は、パパの顔をすぐに忘れてしまって、訪ねてきたその人が本当にパパかどうか、私と冬馬はいつも半信半疑だった。

 

 ママが風船なら、パパは渡り鳥だ。

 大空でパパが、偶然にでも、ふぅわりふぅわり彷徨さまようママを見つけられたらいいのに。風船から垂れ下がっているはずの紐をくちばしに咥えて、ママを連れて帰ってくれたらいいのに。

 空想でも夢想でも幻想でもなく、妄想に取り憑かれたママの眼はキラキラしていて、熱に浮かされたような表情はうっとりするくらい綺麗だった。私も冬馬も、そんなママが大好きだった。

 でも、風船になったママがある日ひょっこり帰ってくるなんていう奇跡は起こらないまま、私は16歳になった。

 

 

 なんでだろう。いつもこの時間に目が覚めるようになってしまった。午前1時、ママがいつも言うところの25時だ。時間には裏の世界があって、午前1時の裏の世界は25時なんだそうだ。表と裏の世界はコインの表裏みたいになっていて、ポンと指で弾いて上にあげるとどちらか上で落ちてくる。それはとても楽しいぞくぞくするゲームなんだそうだ、よくわからないけど。

 

 でも、この日の時間は25時だと、私はなぜか直感した。私はベッドから起き上がると、2階にある自分の部屋の窓をそっと開けた。見上げた空には星が一つも見えない。

 小学校のキャンプで、私は空には本当はびっくりするくらい多くの星が瞬いていることを知った。星で埋め尽くされた空は、ドキドキするほど綺麗で、ひとつくらい落ちてこないだろうかと、私は天に手を伸ばした。

 だから、こんなに悲しいくらい星のない空は、嘘っこなのだ。嘘っこの空の下で、嘘っこの現実を生きている私たち。つまり、そんな訳で。ママが言うには、人はときどき、25時の時間を確かめに行かなくちゃならないのだ。

 

 

「ねえ、温かいスープを飲まない?」

 突然、下の方から声がした。見下ろすと、年上の男の人が微笑みながら私を見上げていた。

 星のない暗闇に、ヘッドライトをつけた一台のワゴン車が止まっていた。車体に〈すうぷ屋〉の文字が見える。初めて見る移動販売車だった。

「スープ?」

 私は訊いた。

「うん。売れ残りだけど。あ、そういうと不味そうだけど、大丈夫、おいしいよ。それに営業終了後だから、無料という特典つき」

 茶目っ気たっぷりにそう言うその人は、目を凝らすとなかなか彫りの深い清潔な印象の人だった。カーキ色のダウンにジーンズ、スニーカー。〈すうぷ屋〉のワゴン車がなければ、学生か、自由業の人のような雰囲気だ。

 

「何のスープですか?」

 思わずそう訊いてしまった。

「ふふ。まずは降りておいでよ。あ、結構寒いから、ちゃんとあったかい格好でね」

 常識的に考えれば、こんな夜中のひと気のない住宅街で、知らない男の人に声をかけられたら100%警戒する。98%断る。なのに、私はなぜか断れなかった。

 パジャマの上にフリースを着て、大判のストールで肩から上半身、お尻までをすっぽり覆い、もこもこの靴下を履くと、私は1階へ続く階段を下りた。玄関の鍵をそぅっと開けて、同じようにそぅっと外側から締めた。

 夜をまとった外気は、冬の入口の匂いがした。

 

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