第7章 かけ違えるボタン-11

激しく抱いて傷つけて
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 その日の昼、灯里は自分の顔色をうかがうようにして開けた由紀子のお弁当の中身を何気なく見て、驚いた。

「え?…どうしたの、今日は」

 思わずそう言ってしまってから、顔を赤くする由紀子を見て、余計なことを言ったと後悔した。

 

 けれども、その日の由紀子のお弁当は、これまで灯里が眼にしてきたものとは180度違っていたのだ。

 見事な栗を使ったご飯と、海老のあられ揚げ、綺麗に面取りされた里芋や飾り切りされた野菜の炊き合わせ、すずきの西京焼きなどの中に、ちょっと焦げた不格好な卵焼きだけが異質だ。その卵焼きだけ除けば、どこの料亭弁当かと見紛うほどの豪華さだ。

「変でしょうか?」

 おずおずと訊く由紀子に、高校時代に板前がつくったお弁当を開けたときのことを再び思い出しながら、灯里は努めて冗談ぽく言った。

 

「今度は和食の料理人、雇ったとか?」

「はい…」

 え、まじか? と灯里はシャレにならなかったことに、軽く焦った。

「す、凄いね。でも一流の料理人に指導してもらえるなんて、きっとすぐに上手くなるね」

 そう言う灯里の弁当と自身のそれを見比べながら、由紀子はしきりに首を捻っている。

「あの…これ、和食ですよね?」

「?」

 

 どこからどう見ても和食だ、しかもプロがつくった一流の。

 由紀子は怪訝けげんそうにする灯里にかまわず、まだしきりに見比べている。

「でも、なんか違う…」

「違うって何が?」

「北川さんのお弁当と、なんか…全然違う」

 そう言う由紀子に、灯里は思わず吹き出してしまった。

「そりゃそうだよ。だって仁科さんのは一流の日本料理、あたしのはただの家庭料理だもん」

「家庭料理…」

 由紀子は雷に打たれたようにびくりと顔を上げ、灯里をまじまじと見つめた。

 

「え…今度はどうしたの?」

「家庭料理と日本料理は違うんですか?じゃあ、和食は?」

 ふぅ、と灯里は心の中でため息をついた。まず、そこからか…。

「あ、あのっ」

「な、なに?」

「北川さんのと、これ交換してくださいっ」

「えっ」

 もの凄く真剣な眼でそう言われて、灯里は面食らった。

 

「い、いや、あたしのは…ほら、安い材料でつくったただの家庭料理だし。そんな高級なお弁当と交換なんて、恥ずかしいよ」

 本心からそう言う灯里に、由紀子はすっかり悄気しょげかえった。

「あ、あの。仁科さん、食べよ?」

 今度は素直に頷いて、由紀子は箸を取った。

 

「仁科さんの好きな人は、和食が好きだって言ったの?」

 そう訊く灯里に、由紀子がまたわかりやすく反応した。

「どうして、わかるんですか?」

 だって、わからない方がおかしい。それくらい由紀子の態度は正直で、「交換してください」とまで言った眼は真剣そのものだったからだ。

 

 

 いいな、彼女は私がなくしてしまったものを持っている。

 純粋で真っ直ぐに人を想える気持ち、清らかで一点の染みもない心と躰。そして、きっと初めての恋、それが実れば初めてのおつきあい。

 きらきらとその不器用さまで眩しく思える由紀子を、灯里は心の底から羨ましく思った。きっと、柊ちゃんに似合うのはこんな無垢な

 

 

「だって、仁科さんが和食のお弁当なんて、初めてだもの」

 由紀子はぽっと頬を赤らめ、自分がつくったであろう卵焼きを口に入れ、ちょっと顔をしかめるとすずきの西京焼きに箸を伸ばした。

「おいしい…よね?」

「はい、卵焼き以外は」

 そう由紀子は元気なく言う。

「大丈夫、すぐに上手になるよ。だって一流の料理人が先生なんだもの」

 灯里は努めて明るくそう言って、由紀子に微笑んだ。

 

「でも、でも…これじゃダメなんです」

「だめって、何が?」

「これ、家庭料理じゃないですよね?肉じゃがは家庭料理ですよね?」

 由紀子のお母さんが料理はあまり好きではないと言っていたのを思い出して、灯里はう~んと考え込んだ。家庭料理は、だいたいが母から子へ受け継がれるものだからだ。

 

 でも、と灯里は思う。そういう意味では、灯里は由紀子の相談に乗れるかもしれない。

「ねぇ、仁科さん。まず『お弁当』ていうタイトルのお料理の本を何冊か買ってみたら?あたしも高校時代、そういう本を参考にしながらお弁当づくりが楽しくなったの」

 由紀子の顔がぱっと明るくなる。

 

「ほんとですか?それには、家庭料理も載っていますか?」

「ごく普通のお弁当の本を買えば、大概は家庭料理の範疇はんちゅうだと思うよ。なんなら、『料理の基本』的な本も買えば、よりわかりやすいかも」

「ありがとうございますっ」

 本当に嬉しそうに頭を下げる由紀子に、こんなに可愛い恋心を抱く娘に想われる相手は幸せだなと思った。

 

 

 それから数週間、由紀子のお弁当づくりは灯里が思ったほど上達はしなかったが、その悪戦苦闘ぶりがかえって彼女の想いの真剣さを伝えているようで、灯里は微笑ましかった。

「北川さん、お料理教えてもらえませんか?」

 灯里のお弁当から、野菜の春巻きを試食した由紀子がそう言った。

「無理無理、あたし素人だもの」

「でも」

 と由紀子は、半分にかじった春巻きの残りをゆっくり味わうようにしてから言った。

「北川さんのお弁当って毎日中身が違うし、試食させてもらうと絶対おいしいし、本当にお料理上手なんだなって思うから」

「好きなだけだよ。だからお料理教室へも行ってるし」

 

「お料理教室へ行ってるんですか?」

 由紀子の眼がきらきらと輝いた。

「それ、私も行けるでしょうか?」

「もちろん。いろんなコースがあるから、今度案内パンフレットもらってきてあげる」

「嬉しいっ」

 由紀子はそう言って、えくぼを見せて笑った。

 

 お弁当を食べ終わり、コーヒーを飲みながら寛いでいると、由紀子が少し恥ずかしそうに言った。

「実は、私の好きな人、この大学の院生なんです」

 院生?と訊いて、灯里はどきりとした。まさか、まさかね。そんな偶然…。

「雨の日に、傘を貸してもらって…」

 思い出すように眼を潤ませた由紀子に、「片思いだけど」と告白した遠い日の繭里を灯里はなぜか重ね合わせた。

 

「素敵な出会いだね」

 灯里にそう言われて、由紀子は嬉しそうに微笑む。

「はい。それで、傘を返しに行って、お礼にカップケーキを届けて…」

「どんな人なの?」

 優しく訊く灯里に、由紀子は恋する乙女の眼差しで言った。

「白衣がとても似合う、背の高い、優しい眼をした人です」

 

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