第7章 かけ違えるボタン-12

激しく抱いて傷つけて
Pocket

 気持ちがそわそわと落ち着かない。

 駅前のスーパーマーケットで買い物をして、灯里はボクシングジムの前を通った。この少し先で柊に助けられたのが、6年ぶりの再会だった。数ヵ月前のことなのに、もうずいぶん前のことのような気がする。

 

 夜空には満月が少し欠けた秋の月が、ほんわりと浮かんでいる。冴え冴えとした春の月に漠然とした不安を感じて、自らの躰を抱きしめた記憶がよみがえる。あのときは、柊とこんな関係になるなんて予想もしていなかった。

 

 終着駅を自分で決めるしかない不埒ふらちな暴走列車から、降りるのはいまなのかもしれない。そのためには、確かめなければならないことがある。

 知るのが怖いような、でも心のどこかにある確信は、それが平穏への道だと教えている。迷路に嵌まり込みそうになる思考を整理するように、灯里は深いため息を一つつくとまた月を見上げた。

 

 

「綺麗な月だね」

 ふいに背後から声を掛けられて、深く考え込んでいた灯里は、思わず飛び上がりそうになった。そんな灯里を見て、柊は慌てて謝る。

「ごめん、灯里。僕だよ、驚かすつもりはなくて、ホントにごめん」

「もう、柊ちゃんたら」

 そう頬を膨らませて、灯里は並ぶように傍に来た柊を軽くにらんだ。

 

「ごめん。でも灯里、スーパーを出たところから僕がずっと後ろを歩いてるの、全然気づかないんだもの」

 そう柊に指摘されて、灯里はまた驚く。

「ずっと、つけてたの?」

「つけてたなんて、人聞き悪いな。でも、なんか考え事してた?」

 図星だった。だから灯里は、反射的に首を振った。

「ううん、別に」

「そう」

「うん」

 

 自分の顔を見ようとしない灯里に、柊は嘘だと気づいたが、それには触れずにスーパーの袋に手を伸ばした。

「重いだろ、持つよ」

「大丈夫よ」

「いいから」

 少し強引に柊は灯里の手からスーパーの袋を取ると、灯里の横顔をそっとうかがった。

 

 やはり、何かあった。

 昔から灯里に関するそういう勘だけは当たっていた、と柊は思う。仕事で嫌なことでもあったのだろうか。でもそれを正面から訊いても、灯里は話さない。とくに弱みを見せることを嫌うのは、自分が年上だと思っているからなんだろう。

 バカだな、灯里。素直に僕に頼って、なんでも話せば気が楽になるのに。

 

 頑張りすぎる幼なじみを心の中で労わりながら、柊は何も言わずに隣を歩く。

 やがてそれぞれの住む場所の前へ着いて、柊は灯里にスーパーの袋を無言で渡す。

「ありがと」

 と言った灯里が、そのまま何か迷っている。だから柊は黙って、灯里の次の言葉を待った。

「あのね、柊ちゃん」

「うん」

 灯里が思い切ったように、柊の顔を見上げる。

「話が、ある、んだけど」

「うん」

「あとで、来てくれる?」

「いいよ、1時間後くらいでいい?」

「うん」

 

 灯里から誘うなんて。

 柊は踊り出しそうになる気持ちを抑えながら、シャワーを浴びた。清潔なシャツとチノパンに着替えると、冷蔵庫からペットボトルのお茶を出して飲んだ。

 ちゃんと話を訊いてあげよう。頼られたことが、心底嬉しかった。

 灯里、キミの力になりたい。僕はキミのどんな相談にも乗れる、頼もしい男になりたい。そして心と心をゆっくりと通わせて、いつか必要とされる、離れがたい存在になりたい。灯里、僕はキミに価値を認めてほしいんだ。

 

 

✵ ✵ ✵

 

 1時間後、柊は灯里の部屋のインターホンを鳴らした。合鍵は持っていても必要がないときは使わない、それが灯里との約束だから。

 ドアはすぐに開いて、少し青い顔の灯里が顔を覗かせた。

「灯里、来たよ」

「うん、入って」

 

 部屋に入り、大きめのクッションの上に胡坐あぐらをかく。

「なにか、飲む?」

「いや、いいよ」

 柊がそう断ると、灯里は柊の向かいを避けて、ベッドの端にそっと腰かけた。

 何から話そうかと、灯里はまだ迷っていた。迷いながら口をついた言葉を、まるで自分の声でないような気持ちで訊いた。

 

「柊ちゃん、傘を貸した?」

 傘? 少し考えて、柊はすぐにピンときた。

「ああ、新しく教務課にはいったのこと?」

 何でもないことのように言いながら、それがいったい何だというのだろうと柊はいぶかしく思う。

 

「彼女、仁科由紀子さんて言うの、知ってた?」

「ああ、確かそんな名前だったね」

 柊の熱のない返事に、灯里は少し苛立ちながら言う。

「カップケーキをもらった?」

「もらったけど?でも、それお礼だっていうから。院のみんなで食べたけど?」

「和食が好きだって、言った?」

「言ったけど…訊かれたから」

 今度は柊が軽く苛立つ。

 

 

 いったい何なんだ。彼女とはなんの関係もない。でも、もしかしたら灯里は妬いてるの?そうだとしたら、キミも少しは僕のこと…。

 

 柊が都合のいい解釈をして、もう少し灯里を妬かせてみたいと思ったところに、爆弾はいきなり落とされた。

 

「終わりにしよう、柊ちゃん」

 話の飛躍に柊は驚いた。なんで突然、そうなる?

「え、灯里。終わりって何を?」

「何って、あたしたちのこの関係」

「ちょっと待って。彼女とは何もないよ?灯里、嫉妬してるの?」

 間違った方向へ流れそうになる話を、灯里は残酷に元に戻した。

 

「嫉妬なんてしない。だって、あたしたち嫉妬なんかするような関係じゃないもの、最初から」

 側頭部を殴られたような衝撃を、柊は感じた。わかっていても、灯里の言い方は冷たすぎた。

「じゃあ、じゃあ、最初から僕らはどんな関係だったんだって言うんだ」

 灯里は一瞬眼を閉じて息を整えると、柊の顔を見ずに言い放った。

「わかっているでしょ?激しく抱きあって傷つけ合う関係、獣のように快楽を貪る躰だけの関係よ」

 

 

 灯里。

 あの音はなんだろう。

 たったいま、僕の脳天でした何かが爆発するような音。

 聞こえただろう?聞えなかったかい?

 じゃあ、教えてあげる。

 それはね、こういう音だった。

 

 

「ぐおぉおぉおお~」

 まさに獣のように、慟哭とも咆哮ともつかない声を上げて、柊は灯里に襲い掛かった。

 

第7章-11 へ            第8章-1 へ

https://pinmomo.fun/?p=2737   https://pinmomo.fun/?p=2848

 

 

ホットペッパービューティー
Pocket

タイトルとURLをコピーしました