読切り小説「正しい猫の拾い方」

猫は拾うのではなく、拾わされるのです

そもそも、あなたが猫を拾う、あるいは保護すると考えていますか?

その考え自体が傲慢ごうまんであり、はなはだ大きな誤解です。

猫は拾うのではなく、拾わされるのです。

もっとわかりやすく言えば、猫があなたを

選ぶか、選ばないかなのです。

猫の精神世界は、人間の狭義な考えが及ばないほど神秘的です。

さあ、今日も一匹の猫に選ばれた人間がいます。

「彼」は、なぜその猫に選ばれたのでしょうか?

猫に気持ちになって…いいえ、人間ごときに

猫の深淵な思考がわかるはずもありません。

ただ、受け止めるのです。

広義では神が決めた、目の前にある事実だけを。

 

 売れない小説家は猫の好物です

 今年32歳になるが、独身である。彼女はいないが、童貞ではない。 戸坂伊織とさか いおりは売れない小説家である。

 亡くなった祖父母が残した平屋を譲り受け、独り暮らしをしている。

 

 戸坂伊織の一日はおおむね、次のような感じである。

 朝は6時起床、作家のくせに早起きのところが自分でも小者こものだと自覚している。

 起床すると顔を洗い、髭を適当に剃り、散歩に出かける。

 ぷらぷらと自宅近くの川沿いの土手を歩き、毎朝のように会う犬を連れた人々と挨拶を交わす。

 運が良ければ新作や、いま執筆中の小説のネタや展開が浮かんだりするので、ポケットからICレコーダーを出してごにょごにょと録音する。

 大きな声では恥ずかしいので、小さな声で周りをうかがいながら録音する小心者である。

 

 1時間ほどの散歩から戻れば、朝ご飯だ。

 大概たいがい、昨晩残った味噌汁に、昨晩残った冷や飯を入れて煮込んだいわゆる「猫まんま」である。

 戸坂伊織は、これが倹約家の無駄のない生活だと信じている。

 朝食が済むと歯を磨き、軽く屁でもしながら新聞を読む。

 そして、9時からはきっちりとコンピューターに向かう。執筆である。はかどるときもあれば、はかどらないときもある。

 我ながら生真面目でつまらない性格だと、思わなくもない。

 

 妹に言わせると、「これだから昭和の男は」だそうである。

 残念ながら、いや、そう残念でもないが、戸坂伊織はぎりぎり昭和の男である。

 妹は、うじて平成の女だ。だから何だと思うが、妹が「平成」生まれを鼻にかけると、若干じゃっかんイラッとするのはなぜだろう。

 そうこう言っても時代はすでに「令和」で、いずれ妹も「令和」生まれを鼻にかけるやからにイラッとする日が来るのかもしれない。

 時代は変わる。

 しかし、昭和生まれの戸坂伊織の日常は変わらない。

 

猫との出逢いは必然です

    判で押したような日常を生きる戸坂伊織とて、たまには編集部というものに顔を出し、打合せをすることもある。

 そこでは一応、作家なので「センセイ」と呼ばれる。こそばゆい。

 

「おい戸坂、お前、新作書いてんの?」

 松田光汰まつだ こうたは、この編集部で唯一タメ口をきく男である。

 なんと言っても中・高・大学の10年間も同級生なのだから、しかたがない。

「書いてる」

「恋愛もの?」

「…」

「なワケないか!がはは」

 そう思うのなら最初から聞くなと思うが、松田光汰はそれを聞くやつだ。

「合コン、行く?」

「いや」

「オンナ、紹介する?」

「いや」

「だよな」

 

 今日も不毛な会話をして、戸坂伊織は編集部を後にする。

 それでも大衆雑誌の書きおろしが決まったので、戸坂伊織は上機嫌である。傍目はためからそうは見えないのが、難点ではあるが。

 世の中の作家には、純文学以外を認めない者もいるが、戸坂伊織は大衆文学が好きである。一部の高尚な人に好まれるのも、それはそれで素晴らしいと思うが、大衆に楽しんでもらえなくて何が小説だというのが、わずかばかりの矜持きょうじである。。

 シェークスピアだって、大衆演劇の台本を書いていたのではないか。それが古くなって古典と言われるようになっただけだ。

 もっとも、自分の作品が古くなれば時代に忘れ去られる程度のものであることは、はなからわかっている。

 シェイクスピア先生、すみません。

 

 

 駅前で蕎麦を食って、家へ戻った。

 家の前に、何かが居る。

「みぃ~う」

 猫だ。残念ながら子猫と言うには、少し大きい。成猫というほどでもなく、微妙だ。

 捨て猫か?迷い猫だろうか。首輪は付けていない。

 玄関の扉の鍵を開けて中に入ろうとしたら、猫に先を越された。

 何を勝手にと追いかけて、捕まえて外に出す。

 が、するりと器用にすきをついて、また中に入ってきてしまう。

 挙句の果てに、勝手にベッドに乗る。

 

「俺は、猫なんか飼ったことがないんだ」

「みぅ?」

 これでは、押しかけ猫である。

 猫との攻防を早々に諦めて、コンピュータ-の前に座った伊織の膝に、猫がすとんと乗って来た。

 まじまじと見ると、少し全体が汚れている。

 伊織はタオルを熱いお湯に浸してから絞り、何度も何度も丁寧に拭いてやった。

 白い猫は、本来の白さを取り戻したように見えた。

 

「みゃっう」

 嬉しそうだ。

「ミーちゃん」

 試しにそう呼んでみる。無視された。

「シロ」

 じろ、と睨まれた。まるで「センスがない」と責められているかのようだ。

「ちさと」

「にゃ~!」

 猫の名前は、猫が決める。

 たとえ「ちさと」が、幼稚園時代に好きだった女の子の名前だったとしても、それはそれでかまわないのだ。

 

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 我儘わがままには振り回されましょう

   売れないと言っても一応作家ではあるので、心に虚無を抱えている。 戸坂伊織は、売れない作家である。

 その虚無の広さは、例えて言うならカナダの「オンタリオ湖」ほどである。「オンタリオ湖」なんて知らないと言うのなら、一度訪ねてみるのも一計だ。

 北アメリカにある五大湖のうちでは最小で、氷河によって削られてできた淡水湖だ。

 さて、実は心の虚無と猫は、たいへん相性がいい。

 それは癒されるからね、と誤解してはいけない。

 作家における心の虚無は、本来、癒されてはいけないものだ。虚無を失った途端に、作家は書く意味を失う。

 やっかいだが、それほど大切なものだ。

 それでは、どう相性がいいのだと不愉快になったかも知れない。

 猫を飼う意味とは、振り回される幸福を知ることだ。振り回されることに諦観ていかんすると、虚無はいきなり直視できるものになる。

 これまで漠然と抱えていた虚無が、覚悟を持って受け入れられる虚無になるのだ。

 これは、虚無と猫と、同居してみなければ永遠にわからない。

 

「みぎゃぁ~」

 ご飯の要求である。

 しかし困ったことに、ちさとは猫用のご飯をことごとく拒否する。

 猫缶しかり、ちゅ~るしかり、カリカリしかり。

 味の好みが難しいのかと最初は思ったが、やがてわかった。

 ちさとは、伊織と同じものを食べたがるのである。

 

 朝は「猫まんま」、猫だから問題はない。

 昼は麺類、「ふぅふぅ」してやるのが手間だ。しかし、冷たいのより時期的に熱いものの方がいまはいいらしい。

 夜は伊織と同じものをワンプレートに盛ってやる。野菜も肉も魚も問題なく食べるが、問題はこれを猫に食べさせて本当にいいものだろうかということだ。

 そして夜は、伊織と同じベッドで寝る。

 寝相は、あまりよくない。夜中に、息苦しくて目が覚めると、大概、顔の上に腹が乗っている。

 

 仕事中は、伊織の膝の上が定位置だ。

 最初、なぜか股の間がムズムズした。

 ちさとを見る、ちさとも伊織を見る、見つめ合う。~♡

「いや。変だな」

 それでも、もようしたものは何とかしないと苦しいので、ちさとに膝の上からお降りいただいて伊織はTVの前へ行く。

 AVのDVDをセットする。

 ちさとは?と見ると、ベッドの上でちゃっかりタヌキ寝入りを決め込んでいる。猫なのにタヌキ寝入りとは微妙だと思いながらも、気にしないようにして画面に集中する。

 

「ふぅ、終わった」

 ティッシュなど残骸をもろもろ処理して、またちさとを見る。

 ちさとは片目だけ、ちらりと開けてみせる。明らかにタヌキ寝入りしていた猫にオナニーを見られていたと思うと、後から羞恥心が溢れてきていたたまれなかった。

 いや、しかしこれも経験である。後で小説に書く、そう思って伊織は自分のもやもやに決着をつけた。

 

 目に見えているものが真実とは限らないのです


「猫、飼ったんだって?猫と言う名のオンナじゃないのか?」
 松田光汰がやって来た。

 電話でしつこくそう言うので、渋々ちさとに会わせることにした。

 

 気が進まない。

 なぜ、あいつに大事なちさとを見せなければならないのだ。

 もう、ちさと無しでは生活が無味乾燥過ぎてムリだとか、我儘わがままなちさとに振り回される生活が実は気に入っているだとか、そんなことを見透かされたくない。

 

 しかし、松田はやって来た。

「え?おぅえっ!?」

 初めてちさとを目にした松田の感想は、人としてそれはそれは失礼なものだった。

 一点を凝視し、指をさし、口をパクパクさせている。そんな松田を見るのは面白いが、失礼は失礼だ。

 

「初めまして、ちさとですっ♡」

 そうそう、初対面の挨拶は、まず名を名乗るところから…って、えっ?

 白い肌にタオルケットを巻きつけたオンナが立っていた。首にあるのは、俺がちさとに買ってやった赤い首輪だ。小さな鈴がついている。

 真珠のような白い肌に、赤い首輪が背徳的なほどに美しく映えている。

 …じゃなくて。

 初対面の挨拶に、全裸×赤い首輪×タオルケットは反則だ。

 案の定、松田は口から泡を吹きかけている。

 

 そうだった。

 俺は猫と暮らしていたのだ。とびきり我儘でとらえどころのない、自由でしなやかで蠱惑的こわくてきな。

 ちさとと虚無との理想的な同居は、いまでは俺が書き続けることの唯一無二の理由なのだ。

 

                  ―了―

 

 

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