第9章 逆 流-5

 

喪服姿の灯里が通夜の会場に入っていくと、早めに集まっていた人々の眼が、一瞬釘づけになった。

瞳が着付け、髪をまとめ上げた着物姿の灯里は、周りの空気を一変させるほど凛と美しく静謐せいひつな気品を漂わせていた。

その姿を一足先に自宅の和室で目にした柊は、さすがリツが見込んで育てただけはあるとしみじみ思った。それがこうした祭儀場であれば、尚更で。

喪服姿の灯里には、なにか踏み込んではいけない聖域のようなものすら感じた。それが柊以外の人々にもわかるのだろう、しんと静止した空間を灯里がスローモーションのように歩み進んでいく。

やがて、それが灯里だと気づいた『北賀楼』にゆかりの深い人々の口から、次第にさざ波のようなひそひそ話が漏れはじめる。

その居心地の悪い空気の中を、灯里はまっすぐ前を見て、白磁のような表情を少しも変えずに進んでいく。

見事だ、と柊は感動すら覚えた。灯里、キミは凄いよ。やはりお祖母様の孫だ。

 

やがて灯里は、最前列の席周辺で歩みを止める。そこには父親の一史と、義母に当たる万祐子、繭里と勝哉が揃っていた。家族でもあるその人たちに、灯里は静かにこうべを垂れる。

しかし父も義母も繭里も、灯里からすぅと眼を逸らした。勝哉にいたっては両手をぎゅぅと握り締めると、さっと眼を逸らし、それから慌てたように深々とお辞儀をした。灯里の堂々としたたたずまいに比べ、彼等のそれは滑稽なほど不自然だった。

 

あなたたちは灯里の家族だろ、と思って、柊は唖然とした。

灯里をまるで招かれざる客のように、腫れ物を扱うかのように、眼を逸らすその人たち。

違う、この人たちは灯里の家族なんかじゃなかったんだ。

灯里の家族はお祖母様ただ一人、いままでも、これからも。

柊は灯里の「淋しい」と言った訳がわかった気がした。

灯里はきっと無意識のうちに、自分がこの世でただ独りになったことを察したのだろう。

だけど、灯里。僕はキミを独りになんかさせやしないよ、この命にかけても。

 

そう固く決心して灯里を見た柊は、彼女が決して毅然としているわけではなく、蒼白になるほどの葛藤を心の奥でしていることが手に取るようにわかった。

灯里、苦しいだろ? でも頑張れ、僕が傍にいるから。

その想いを込めて、柊は灯里の背中にそっと温かな手を添えた。

 

 

✵ ✵ ✵

 

「柊ちゃん、お願い…」

通夜の席とは打って変わって、ホテルに帰った灯里の心はヒビだらけに思えた。もういつ壊れてもおかしくないそれを、壊すまいと柊も必死で抱きしめた。

あの会場で終始、一滴の涙も流さなかった灯里は、いま涙が枯れるほどに泣き続けていた。

「灯里、そんなに泣いたら、明日、眼が腫れてしまう」

柊は冷たい水に入れて絞ったタオルを灯里の眼に当ててやった。そのタオルを両手で押さえながらも、灯里は柊に震える躰を押しつけてくる。

「灯里、明日、大丈夫?」

灯里は明日も、今日と同じように毅然とふるまうだろうと柊にはわかっていたが、それをできればさせたくないほど、いま眼の前の灯里はぼろぼろだ。

「体調が悪い、ということにしないか?」

そう言う柊に、灯里は激しくかぶりを振った。

「お祖母様に、お祖母様に叱られる。…ちゃんとしないと…」

「もう、十分だよ。お祖母様もわかってくれる」

柊のその言葉に、灯里がまた激しくむせび泣いた。

「ちがっ…お祖母様は…あたしは…あたしが全部台無しにした…」

「灯里、台無しってなにを?」

「あたしが…一番っ、不幸に…ならなければ…許されないっ、ことなの」

「不幸?」

柊は、あの夏の日、繭里が言ったことを唐突に思い出した。

 

あたしは幸せにならなければいけないの。

みんなのために、幸せでいなければならないのよ。

 

みんなのために?

異母姉妹でありながら、「不幸」と「幸福」という全く逆の道をめざそうとするふたり…。

 

いったい何があったって言うんだ、灯里、繭里。

 

 

✵ ✵ ✵

 

翌日の告別式も、灯里は同じようにまっすぐ前を見て、不躾ぶしつけな視線や心無いひそひそ話の中で清らかな一輪の花のように咲いていた。その喪服の背中がたった一晩でさらに細く小さくなったようで、柊は涙がこぼれそうになる。

告別式が終わり出棺になったタイミングで、柊は傍に来た母の瞳にそっと耳打ちをした。

「お母さん、僕はこれで灯里を連れて帰るから。おそらく、もう灯里が持たない」

「家で着替えて、一晩くらい泊まってゆっくり休んだ方が灯里ちゃんにとっていいんじゃないの? なにか、灯里ちゃんが好きなものでもつくるから」

柊は静かに、でも厳然と首を振った。

もう、灯里はいつ崩れてもおかしくない、そして夜の灯里は誰にも見せられない。

「いや、帰った方がいいと思う」

「そう…」

瞳はそれ以上強くは言わず、家へ帰ると黙って灯里の喪服を解いてくれた。

それから「新幹線の中で食べなさい」と言って、ふたり分の弁当を持たせてくれた。柊はそんな母に、何の説明もしてやれないことが申し訳ない。なにしろ柊は、灯里の傍らを片時も離れることができないのだから。灯里の心を乱すかもしれない話は、極力避けたいのだ。

「お母さん、ごめん。落ち着いたら、ちゃんと説明するから」

瞳はそんな息子にあきらめたように微笑むと、灯里にそっと触れながら言った。

「灯里ちゃん。柊は昔から、灯里ちゃんのナイトみたいなものだから。遠慮なくこき使ってやんなさい」

そのとき故郷に帰って来てから、初めて灯里が薄く笑った。

「おばさん…そうしようか、な?」

「そうよ」

そして今度は灯里から、瞳に抱きついた。

「おばさん、ありがとう。本当に、ありがとうございました」

その灯里の頬に光るものを、柊はここ数日の夜以外に初めて眼にした。

 

「さあ、灯里、帰ろう。僕たちの居場所へ。一緒に」

 

 

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