第4話 カフェと制服と同伴出勤
火曜日と木曜日の夕方から、女子中学生の家庭教師のアルバイトをしている。その娘の家の最寄駅前に、おしゃれなカフェができたのは夏休み前だった。それから時間があればそのカフェで、紅茶とシフォンケーキを楽しむようになった。
夏休みの直前に、アルバイト募集の張り紙を見た。迷わず応募して、夏休みの間、そのカフェで働いた。夏休みが終わる頃、マスターからアルバイトを継続できないかと言われた。それから、水曜日の夕方18時から22時までと、土日の12時から17時までアルバイトを継続している。
今日は水曜日。ソフトクリーム事件があったせいで、18時ぎりぎりに厨房裏にあるスタッフルームに入る。ブラウスの汚れた部分をちゃちゃっとつまみ洗いしてハンガーにかけると、私は店の制服に着替えた。
このカフェの制服は、とても素敵だ。襟とカフス部分が白いクレリック風の黒いワンピースに、フリルがついた白いエプロン。
ワンピースは膝丈で、エプロンは胸当てつきで短め。全体の印象はクラシックで、清楚で、良家のお手伝いさん風。この制服に憧れたのも、バイトしたかった理由だ。
同じアルバイトの女性スタッフは私より年上で背の高い人が多いせいか、この制服姿には凛とした気品すら感じていた。
なのに。どちらかというと背の低い私が着ると、なんだか印象が違う。
ん?メイド喫茶?一瞬、そんな考えが頭をよぎって、慌てて振り払った。違う、違う、クラシックな両家のお手伝いさん、落ち着いて気品ある立ち居振る舞いが似合う…と何度も頭の中でイメージトレーニングした。
入口の自動ドアが開く音がして、反射的にそちらの方を見ながら言った。
「いらっしゃいませ」
あ。入ってきたお客様を見て、固まった。
慌てて隠れようかどうしようかと挙動不審な動きをしてしまった、のをしっかり見られた。
よっ、という感じで私に片手を上げたのは、くりくりヘアの大型犬だった。なんで?まさか、つけてきた?
水とおしぼりとメニューを持って、山岸くんが座っているテーブルの傍へ行く。
「いらっしゃいませ」
メニューを受け取りながら、彼が言う。
「ここで、バイトしてたんだ?偶然だね」
つけてきた訳ではないらしい。そりゃそうだ、つけられる理由がないし。
「さっきは、ホントごめん。ブラウス、染みになってない?」
「大丈夫だと思います。ご注文がお決まりの頃、また伺います」
そう言って、去ろうとする。
「弁償するよ?」
「洗えば、取れますから」
白いブラウスに、白いソフトクリームだ。さっきつまみ洗いした時点で、もう取れたも同然だった。
「あのさ…」
さらに話し続けようとする山岸くんに、「バイト中ですから」と言って、私はカウンターに戻った。
「知り合い?」
今日、一緒にアルバイトに入っている菜々子さんにそう訊かれた。
「大学のクラスメイトです」
「へえ…」
25歳にしては大人っぽい菜々子さんが、山岸くんと私を交互に見て微笑んだ。
「カワかっこいいじゃない。彼氏?」
「ち、違いますよ」
山岸くんがメニューから顔を上げて、こちらを見ている。菜々子さんに背中を押されて、しぶしぶ注文を取りに行った。
「アイスコーヒー。あと、何かおすすめある?」
それはもう、間違いなくシフォンケーキだ。
細かく砕いたビターチョコを生地に入れて焼いたシフォンケーキは、やさしい甘さでふんわり軽くて、口に入れるとほろほろと溶けるみたいだ。生クリームとブルーベリージャムが小皿についてきて、好みで甘さを調節できる。
「シフォンケーキ!…とか」
ちょっと目を輝かせて言ってしまった気がする。山岸くんの目が、ちょっと驚いたように見開かれて、それから破顔されたから。
「じゃ、それ」
それから毎週水曜日は、山岸くんがカフェに来るようになってしまった。しかも今日は、アルバイトに向かう電車の中に、何故か一緒に乗っている。
「今日も、来るんですか?」
「うん。シフォンケーキ、気に入っちゃってさ」
「甘いもの好きなんですか?太りますよ」
「俺、食べてもあまり太んないから。背の方に行っちゃってるのかも」
「ま、まさか、まだ伸びてるとか?」
「う~ん、大学に入ってからは3cmしか伸びてない」
私なんか、中学2年から伸びてない。何cmあるんだ、この大型犬は。
「水野さんは、これから成長期なの?」
「へ?」
「だって、こんなに小さいし」
くくく、と山岸くんが笑う。からかわれた?ムカつく。ムカつきついでに、思っていた疑問をぶつけてみた。
「そもそも、何であのカフェに来たんですか?」
「あ。俺ん家、あそこが最寄駅なの。水野さんこそ、何であそこでアルバイトしているの?」
「家庭教師をしている娘の家が、あの駅にあるので。で、夏にオープンしたあのカフェが気に入って通ってたら、バイト募集の張り紙見つけて…」
「ふうん。家庭教師もしてるんだ。えらい、えらい」
同級生のくせに、子供扱いするな。物事の判断基準を身長だと思ってるだろ、それ大きな間違いだから。
そんなこんなで、最寄駅に到着して電車から降りる。カフェは駅前だ。
「じゃ、ここで」
と私は言った。
「え?俺、シフォンケーキ食べたいけど?」
「や、やめてください」
慌てて私は、同じ方向へ歩きだそうとする山岸くんを遮った。
「なんで?」
「だって…」
だいたいいつも同じシフトで水曜日にアルバイトしている、菜々子さんと佳奈さんにからかわれるのだ。
「同伴出勤みたいだって…」
ぷ、と山岸くんが笑う。
「同伴出勤て…。それ、もっと大人で色っぽいお姉さんに使う言葉じゃん。水野さんの場合は、幼稚園のお送り迎えの間違いじゃないの?」
「ほ、ほっといてくださいっ!」
「お迎えもする?」
これ以上、調子に乗ったらぶっ飛ばす!大型犬!!
「失礼します」
私はわざと冷たく言い放って、カフェ裏の従業員出入口へ向かった。
お気に入りの制服に着替えてカフェの店内に入ったが、山岸くんの姿はなかった。
「あれ、今日は同伴出勤じゃないの?」
佳奈さんが訊く。なんだ、やっぱりからかわれるのは変わらないんだ。
でもそんな風に少しずつ、少しずつ、私と山岸くんの距離は近くなっていって、いつしか私は彼に敬語を使うのをやめていた。大学では彼を取り巻く女子達がいるから、あまり親しげに話さないようにしているけど、山岸くんは私のアルバイトがある水曜、土曜、日曜の1日か2日はカフェに来ていた。
ゆっくり、ゆっくり、山岸くんの存在が苦手でなくなった頃、私は思い切って彼に訊ねてみた。
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