第6話 スープの再現
「それ、手伝ってないよ」
やわらかく煮た大根とごぼうを、冷ましたコンソメス-プとともにミキサーに入れて攪拌している私に、山岸くんはチョコチップクッキーを差し出して邪魔する。
「水野ぉ。このクッキー、両手で持って食べてみて」
「なんで?」
「いいから」
「いま、攪拌中」
「終わってからでいいよ」
「忙しいから、邪魔しないでっ」
「休憩しようよ」
「まだ、つくり始めたばかりっ」
そう文句を言いながらも、攪拌が終わったミキサーを止めて、クッキーを受け取る。
「ああ、ダメダメ。ちゃんと両手で持って」
仕方ないので両手で持って、山岸くんを訝しげに伺いながら、クッキーを齧る。
途端、山岸くんがもの凄く嬉しそうに笑う。
「うわぁ、可愛い。リスみたいだ」
リス…。
そりゃ、大型犬から見たら、私なんかリス並みに見えるかもね。
「もう一枚、食べなよ」
「いい。もう、手伝うって言ったくせに。邪魔するんなら、あっちでテレビでも見てて」
「テレビなんか見てるより、水野見てるほうが面白い」
ああ、そうですか。ため息が出た。
ここは、山岸くん家のキッチンだ。
ジュエリーデザイナーで、サロンも経営しているというお母さんが購入したというマンションは、とてつもなくゴージャスなものだった。ザ・庶民の私は、初めて足を踏み入れたとき、あまりの格差に言葉も出なかった。
上質でセンスのいい調度類に家具、さり気なく置かれたアンティークのランプや人形、厚みのある絨毯にたっぷりとしたドレープのカーテン。こんな空間にいると、山岸くんまでいつもより洗練されて見えるから不思議だ。
その広いリビングに続くキッチンもまた、広くてピカピカだった。お鍋やオタマやむき出しの食器洗い洗剤など生活感を感じさせるものが表に出ていなくて、まるで高級感あるショールームのようだ。もっとも忙しいお母さんがお料理をすることは滅多にないらしく、生活感だけでなく使用感もあまりない。
こんな凄いキッチンで、私なんかがスープつくって大丈夫なの?マジにそう思った。
「鍋でもオーブンでも調味料でもなんでも、自由に使って」
と山岸くんは言うけれど、勝手に触ってホント大丈夫?
お母さんは土日はジュエリーサロンがあるから出勤日、休みは月火だからと山岸くんが言うので、私は毎週土日のアルバイト後、山岸くんの家のキッチンを借りてスープづくりをすることになったのだ。
沖縄の塩とか、お取り寄せの昆布とか、お父さん愛用だった調味料も同じものを使っているというので、味の再現がしやすそうだというのもその理由だ。
攪拌した大根とごぼうをお鍋に移して、温める。お味噌を小さじ一杯加える。お砂糖をひとつまみ入れて味見する。仕上げに黒ごま。
温まったそれを、2つの小皿に入れて、一つは山岸くんに差し出す。山岸くんが、それを味見すると言った。
「うん、旨い!」
私も恐る恐る味見してみる。ガクッと肩を落とした私を、山岸くんが申し訳なさそうに見る。
「水野、十分旨いよ?」
「でも、あの味じゃない」
はあ、と私はため息をつく。お母さんの誕生日まで、あと1ヶ月を切った。間に合うだろうか。
「何が違うんだ?」
「なんかこう、もっと複雑な深みのようなものがあったの。あと、香ばしさ」
ふうん、と山岸くんは小皿に残ったスープを舐める。
「黒ごま、ちょっと炒ってみたら?」
あ、そうか。気づかなかった。私は嬉しくなって、にこっとして山岸くんを見た。
「ありがと!」
「な、ちゃんと手伝ってるだろ?だからクッキー、もう一枚食べて見せて?」
「ダメ、味がわかんなくなっちゃう」
ちぇ、と舌打ちした山岸くんのそれは無視して、訊ねる。
「深みの方はなんだと思う?」
「さぁ?」
「お父さんがよく使う食材って何だった?」
「俺、6歳だったからなぁ。親父の料理は旨かったけど、食材までは覚えてないよ。できたもん、食ってただけだから」
山岸くんが幼い頃、仕事で忙しいお母さんに替わって、家事全般を引き受けていたのはお父さんだったそうだ。掃除洗濯はもちろん、山岸くんの幼稚園や当時通っていたサッカークラブの送り迎えもお父さんがしていたそうだ。
お父さんはお母さんの才能と仕事を全面的に応援していたらしく、自分は時間に都合がつけやすい塾講師をしながら、主夫の仕事を結構楽しんでいたらしい。夫婦仲は良かったと記憶しているんだそうだ。
「俺は親父がつくるオムライスやカレーやハンバーグが大好きだったけど、おふくろはいつも日付けが変わってから帰ってくることが多かったから、親父は毎日スープを用意してたんだ。夜中でも胃にやさしくて、体と心があったまるからって」
お父さんが亡くなってからは、お母さんの弟さん夫婦が面倒を見てくれたらしい。
「俺は一人っ子だけど、叔父さん家には俺より2つ下の昴っていう男の子と、4つ下の陽向って女の子がいて、俺たちはまるでホントの兄弟みたいに育ったんだ。叔父さんは、ジュエリーデザインの才能はあっても経営にはイマイチ疎いおふくろのサポートをしてくれてたから、皆んな家族みたいなもんだった」
そして山岸くんが高校生になったとき、お母さんはこの豪勢なマンションを購入したのだそうだ。それからは山岸くんとお母さんは、それぞれお互いの独立性を尊重しながら共同生活をしているらしい、彼の言葉を借りれば。
こんな風に、〈すうぷ屋〉さんの、山岸くんの父さんのスープの再現に取り組みながら、私たちはお互いのことをちょっとずつ知っていった。
温かなスープが細胞の一つ一つに行き渡るように、私の中に山岸くんという存在が沁みてきて、それは次第に本流になっていった。
初めての温かで息苦しい感情の流れに戸惑いながら、わたしはこのくりくりヘアの大型犬を信頼しはじめたのだと感じていた。
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