25時のすうぷ 第7話

第7話 最高のプレゼント?

 

 12月21日は土曜日だった。

 私たちは夕方から一緒に買出しに行って、スープの材料とお花とケーキを揃えて帰ってきた。

 素敵な卓上花にアレンジしてもらったお花をダイニングテーブルに飾りながら、山岸くんに訊く。

「お母さん、9時には帰ってくるんだっけ?」

「うん。今朝、ちゃんと念を押しておいた」

「お花とケーキだけじゃなく、なんかプレゼントも買ったほうが良かったんじゃない?」

「なに言ってんだよ。水野のスープがプレゼントだよ。しかもきっと、いままでで最高のプレゼントになる」

 そう言うと、山岸くんは自信に満ちた顔で私を見て笑った。

「ホントにそう思う?」

「もちろん!」

 私はちょっと安心すると、ふぅっと気合を入れてスープづくりに取り掛かった。独りで集中させて、と山岸くんに言って。

 

 時計が21時に近づく頃、私の緊張はマックスだった。何度も味見をした。味見しすぎてわからなくなるくらい。

 でも、大丈夫だと思う。そう信じたい。

 玄関の鍵が開く音がした。震える私の両手を、山岸くんがぎゅぅと握ってくれた。

 

 中背で華奢な、美しい人がリビングの扉を開けて入ってきた。才能あふれるジュエリーデザイナーだと訊いていた私は、勝手に自信とバイタリティーあふれる華やかな美人を想像していた。

 でも目の前に現れたその人は、美しい人ではあったけれど、繊細でむしろ頼りなげで、クールで寂しげな目が山岸くんにそっくりだった。そして支えてあげなくちゃ、と思わせるどこか無邪気さを漂わせていた。

 

「まあ、このが?」

 彼女はそう呟いて、陶器のような顔を山岸くんに向けた。

「うん。今日のシェフ」

「はじめまして。水野春灯です。あ。おかえりなさい。あぁ、お誕生日おめでとうございます」

 最初のご挨拶が、ごちゃごちゃになってしまった。でもそんな私に、山岸くんのお母さんは微笑んで答えてくれた。

「はじめまして。山岸薫子です。ただいま、そしてありがとう」

 とても、いい人だと思った。素敵な人だと思った。

 

「じゃ、早速」

 私は飛ぶようにして、キッチンへ行った。

「え?もう?」

 山岸くんがびっくりしたように言って、笑いながらキッチンへ入ってくる。

「水野、せっかちだなぁ。緊張してんの?」

「う、うん。ちょっと」

 震える指で、IHの電源を入れた。

「あ。山岸くんはお母さんとお話してて」

「独りで大丈夫?」

「う、うん。大丈夫」

「わかった」

 ふぅ、と深呼吸をすると、私はスープの入ったお鍋をかき混ぜ、もう一つのお鍋にスープカップを2つ入れてお湯で温めはじめた。

 

 2つの白いスープカップに温めたスープを入れた。カップを乗せたトレイを捧げるようにして、リビングとひと続きのダイニングへ緊張しながら運ぶ。

 向い合せで座っている山岸くんのお母さんと、山岸くんの目の前にスープカップをおいた。

「どうぞ、お召し上がりください」

 山岸くんのお母さんが、軽く目をつむってスープの香りを嗅いだ。それから銀のスプーンを手に取ると、そっとスープをすくって口に運んだ。ゆっくり味わうように飲み込んで、さらにもうひと口。

 

「これ…」

 そう言うと、お母さんは再び目を閉じてしまった。

 違ったんだろうか、お父さんのスープの味と。私はどきどきしながら、不安になりながらお母さんを見守った。

「おふくろ?」

 山岸くんがそう声をかけるのと、お母さんの目から涙がはらりと落ちるのとが、ほぼ同時だった。

 

 私はその美しさに息を飲んだ。

 やがてゆっくりと目を開けたお母さんは、言った。

「信じられないわ。本当に、あの人のスープ…」

 睫毛まつげと声を震わせて、お母さんは感慨深げに呟いた。それから私の顔を、泣きそうな嬉しそうな、何とも言えない表情で見た。

「ありがとう。ありがとう。でも、こんなことって…」

 

「同じ味?」

 山岸くんが訊く。

「ええ。ぴったり同じ味」

「水野は、親父の〈大根の和風ポタージュ〉の味を、2ヶ月間試行錯誤して再現してくれたんだ」

 また「ありがとう」と言って、お母さんが私を見る。

「あの、まだあるんです。実はもう一種類、あるんです」

 私はなんだか必死に、そう言っていた。

「え?水野、これだけじゃなかったの?」

「うん」

 

 私は今度はダッシュでキッチンに戻ると、もう一つのお鍋に入ったスープを温めはじめた。山岸くんに内緒で、自宅で独り密かに試行錯誤してやっと完成したスープ。

 それは山岸くん親子への私からのサプライズであると当時に、〈すうぷ屋〉さんのためにも、どうしても再現しなければならないスープのような気がずぅっとしていたのだ。

 でもそのシンプルなスープは、シンプルであるがゆえに難しく、再現できるかどうか、実は昨日までわからなかった。

 ぎりぎりセーフでその味を再現できたと思うスープを、また湯煎した白いスープカップに入れて、私はふたりの元へ戻った。

 

「こ、これ…」 

 目の前に置かれたスープを見て、お母さんが絶句した。

「はい。海老のコンソメスープです」

 それは、私がはじめて飲んだ〈すうぷ屋〉さんのスープだ。人参の星が浮かんだ。

 星のない東京の空の下で、金色のスープに落ちたたった一つの星を見つけた。それはとても特別な味がしたのだ。おいしいだけではなくて、シンプルなコンソメの中に込められたきらきらとした強い願い、慈悲深い包み込む愛情のようなもの。

 お母さんが、恐る恐るスープを口に運ぶ。ひと口飲んで、次の行動はもう涙をこぼすなどというものではなくて、まさに号泣に近かった。

 私と山岸くんは、その姿をじっと見ていた。泣き止むまで、ただただじっと。

 

 

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