25時のすうぷ 第8話

第8話 それぞれの幸福な夜

 

「ジュエリーコンクールの発表の前日、彼はこのスープをつくってくれたの。そして言ってくれた。いつだって薫子は、僕の一番星だからって。だから信じよう、キミのジュエリーが一番になることを。このスープを一緒に飲んで祈ろうって」

 山岸くんのお母さんは続けた。

「それを訊いたとき、もう結果なんてどうでもよくなったの。私はこれ以上ないくらい頑張ったし、それをわかって見守ってくれるこの人と、小さな宝物、そう生まれたばかりの透流がいれば、もうそれだけでいいって思えた」

 

「でも、結果は一番だった。しかもすぐその場で、高額の買い手と共同事業出資者が名乗りを上げた」

 山岸くんの言葉に、お母さんは頷いた。

「優流はとても喜んでくれた。そして、それから5年間という長い時間、私の仕事とサロンが軌道に乗るように、全力でサポートしてくれた。キミの夢は、僕の夢だからって言って」

 涙がまた溢れ出るお母さんの瞳が、一番星のように綺麗だと思った。

 

「僕のスープは、気持ちをほっこりさせるでしょ?だから、キミはきっと幸せになれるよ…」

 私は思わず、〈すうぷ屋〉さんに言われた言葉を口にした。

 お母さんの目が、またひときわ大きく見開かれて、それから頷いた。

「そう。彼はいつもそう言って、私を励ましてくれた」

 私は、さらに思い出したもう一つの言葉を口にした。

「大丈夫、いろんなこと。辛いときは、温かなスープを思い出して…」

 何度も何度も頷くお母さんは、もう想いが言葉にならないようだった。

 よかった。〈すうぷ屋〉さんの言葉を、願いを、彼の一番大事な人に届けられて。

 

「もしかしたら」

 山岸くんが言った。

「親父はいまも、水野が言うところのコインの裏の世界で、いろんな人にスープを届けているんじゃないかな?」

 お母さんと私は、同時に山岸くんをまじまじと見た。

「裏の世界では、時間の長さが違うのかも。〈すうぷ屋〉さんは5日間だけ、毎日25時に窓の下にいたんです」

 

 私は、パズルの答えを導き出すかのような気持ちで言った。

「表の世界では5年間、裏の世界では5日間ってこと?」

 山岸くんが訊く。

「うん、たぶん。でも、それはもしかしたら重要なことではなくて、その人が癒されて大丈夫って思ったら、〈すうぷ屋〉さんは次の誰かを励ましに行くのかも」

「なんで、水野だったんだろうな」

 山岸くんがぼそりと言った。

「私は感謝してるわ。それが春灯ちゃんだったこと。きっと春灯ちゃんは、子供のように純粋だから、25時の世界へ行けたのよ」

 そういうお母さんも、かなりピュアな人だと私は思った。

 

「ねえ、春灯ちゃん。もしかしたら春灯ちゃんのお母さんも、それを必要としている人のところへ風船のように飛んでいって、絵本を読んであげてるんじゃなぁい?」

 その無垢な考えに、今度は私が号泣する番だった。山岸くんのお母さんは、なんて素敵なことを言う人なんだろう。

 

 届かなかった人の想いは、浄化されなければならない。

 願いは時空を超えて、届けられなければならない。

 

 ママは幸せだったのか、私と冬馬はずっと気がかりだった。でもいまもコインの裏の世界で、目をキラキラさせながら素敵な妄想を語っているのなら、ママは幸せだと思う。

 そしてそれがママの存在意義なら、私や冬馬やパパやおばあちゃんの想いはちゃんと浄化できる気がした。自分がこの世界で生きている意味も、見つけられそうな気がした。

 だから、私は泣きながら言った。

「ありがとうございます。そう言ってもらえて、すごく嬉しい。きっと母はそうしているんだと、嬉々としてそうしているんだと信じられるから」

 

 山岸くんが、涙でぐちょぐちょになっている私たちに言った。

「もしかしたらさ。コインの裏の世界では、人は誰かのために自分の出来ること、得意なことをするのかもしれないな。表の世界では、それがきっと仕事なんだよ。だから裏の世界でも表の世界でも、仕事って人に喜んでもらうためにするんだと思う。俺は、ママのジュエリーは、人を幸せにする力を持ってると思うよ」

 

 山岸くんが、おふくろじゃなくてママって言った。なんだか、それが特別な想いを伝えているような気がした。

「春灯ちゃん、透流は私の自慢の息子よ。だって、優流さんの遺伝子をこんなにも受け継いでいるんですもの」

 

 幸福な夜だった。

 それから私たちは、山岸くんがお母さんのためにつくった親子丼を食べた。誕生日っぽくないメニューだけど、お母さんは「透流の親子丼!」て言って、無邪気に飛び上がって喜んだ。親子の歴史は、きっとふたりにしかわからない。そして、その親子丼はもの凄くおいしかった。

 

 食事も終わり、紅茶とケーキを食べているときに、お母さんが言った。

「ねえ、透流。この娘が子リスちゃんなのね?」

「お、おふくろっ!それはっ」

 山岸くんが、盛大に慌てた。

 こ、子リス?リスだって小さいのに、さらに小粒じゃない。

「ポニーテールの髪が、まるで子リスのしっぽみたいで。おっきな目が黒い宝石みたいに純真に輝いていて、教室の隅っこにちょこんと座ってる姿がいじらしい感じがして。透流は大学に入学したときから、子リスちゃんのことが気になってしょうがなかったのよね?」

「お、おふくろ!なに言ってんの?ちょっと、ストップ」

「カフェでバイトし始めたときは、あの制服やばい、誰かに言い寄られたりしたらマジやばいって言って、こっそり監視してたのよね?」

 

 え?それって…いつから?

「水野っ!ち、違うから。偶然だから」

「甘いものなんかそんなに好きじゃないくせに、毎週シフォンケーキを食べるのは、結構苦行だったんじゃないの?」

「お、おふくろ…頼むよ」

 山岸くんが、無邪気に暴露するお母さんに、途方に暮れていて。なんだか微笑ましい光景だ。

 

「あの、じゃ…いつから知ってたの、カフェでバイトしてること?」

 私の問いに、山岸くんは顔を真っ赤にして焦りまくった。

「いや、その。夏休みに偶然通りかかったら、水野の姿が見えて。あの制服着てて。これはやばいだろって思って。で、でも、外で見てただけだから。最初は…」

 私も真っ赤になって、何も言えなくなってしまった。それって、山岸くんは私のこと…。

 

←第7話 へ                                                               →第9話 へ

http://pinmomo.fun/?p=623          http://pinmomo.fun/?p=644   

タイトルとURLをコピーしました