いつか王路さまが 第1話

 第1話 キミとの出逢い

 

 別に、夢見ていたわけじゃない。

 いつか王子様が…なんて。 

 きっとこの世界のどこかに運命の唯一つがいが…なんて。

 だけど、あたしだって人並みに、恋に恋する年頃を過ぎて。

 処女をこじらせたまんま、本日めでたくもなく22歳になった。

 

 出会いがないのは、この職業のせいかとも思う。

 大学2年のときに、たまたま応募した童話が最優秀新人賞をとり、期待の新星とか騒がれてデビュー。大学を卒業しても、他の同級生たちのように就職することもなく、童話作家として在宅で仕事を続けている。いまは結構ほそぼそと、才能なんて幻だったのかもしれないなぁって思いながら。

 

 姫野ひめの 柚唯ゆい、それがあたしの本名だ。

 ペンネームは、うらら。「うららかな春のように、心がぽかぽかになる物語」が処女作の帯についたキャッチフレーズだったから。

 なんてわかりやすい、単純な、人畜無害な。

 

 

✵ ✵ ✵

 

 大学を卒業して本格的に作家活動にいそしむために、あたしは海辺の古い一軒家を購入した。

 バカみたいに安い値段で売られていたその古家は、1階だけの平屋だったけれど、天窓つきの屋根裏部屋があった。背が決して高くはないあたしでも少し屈まなければならない天井の低い4畳半ほどの空間だけど、これが人生初の家購入の決め手になった。

 

 下見に訪れたときに何の気なしにそこに寝そべってみたら、それまでどうしてもまとまってくれなかった新作のストーリーがするすると、絡まった糸が突然ほどけるみたいにいい感じに繋がったのだ。

 

 なんだか自分のために用意された、運命の空間のような気がした…そのときは。

 

 

 今朝もあたしは、早起きして海辺を散歩する。

 モノを書く人種は、夜型が多いと思われがちだけど、あたしは真逆の朝型人間だ。6時には起きて1時間ほど時間をかけて散歩をしながら、いま書いている作品、これから書こうと思っている新作の構想を練る。

 

 身体を動かすと脳も活性化すると誰かが言っていたけれど、その意見に100%賛成派だ。ただ、悲しいかな。才能までは活性化しないらしい。

 

 早くもブチ当たりはじめていた限界という壁に気づかないふりをしながら、あたしはいつまで、どこまで歩き続けて行けるのだろうかと漠然とした不安の中に居た。

 

 

 海沿いの道を歩いて行くと、こんもりとした小さな森に出る。

 いつもはそこが引き返し地点なのに、その日は考え事をしていたせいか、森の中へ足を踏み入れていた。鬱蒼うっそうとした樹々に5月の陽光は遮られ、少し低くなった大気にはっと我に返った。

 

「やだ、森の中まで来ちゃった」

 誰に言い訳するでもなくそう言って、誰に見せるわけでもない照れ笑いを一つ浮かべて、来た道を引き返そうとしたそのときだった。

 

 きゅ~ぅぃ? きゅあんきゅん、きゅ~ぁっ。

 

「な、なに?仔犬?」

 足元の茂みががさごそと動いて、すぐにその声の主が眼の前に飛び出してきた。

 小さな小さな、銀色の毛のかたまり。ちょこまかと4本の足を懸命に動かして、すぐ傍まで寄ってきた仔犬に、あたしは思わず目を細めてしゃがみこんだ。

「どうしたの、お前。迷子?それとも野良犬?」

 きゅぅ~ぃっ、と可愛く啼いて首を傾げた仕草に、思わず胸がキュンとなる。マズイ、ほだされてしまいそうだ。

 

 手を伸ばして頭を撫でると、大人しくお座りをしてしっぽで地面を嬉しそうに叩く。あたしはとうとう、その小さな銀の塊を抱き上げて、顔をよく見ようと覗き込んだ。

 

 不思議だ。犬に限らず生き物は、幼い頃はどこもかしこもまあるく出来ているものだ。丸いというのは無条件に可愛らしいという印象を与え、母性と庇護欲を刺激する。

 

 なのにこの仔犬は、確かに身体つきは子供らしく丸いが、鼻がちょっと尖って前に突き出していて、眼も心なしか吊り上がり気味だ。

 

「なんだか犬というよりは、狼の子供みたいだね、お前。…だけど、まさかね」

 狼の子供なんて実際に見たことはないが、こんなところに狼が生息していると訊いたことはない。

 あたしは、抱き上げていた仔犬を地面に下ろすと言った。

「じゃあね、元気でね」

 

 地面に下ろされた仔犬が、きょとんとした顔であたしを見上げる。その顔もたまらなく可愛い。

 

「ごめんね、犬飼ったことないの。あたしなんかより、もっといい人に拾ってもらいな」

 そう言って歩き出したあたしの後ろから、小さな銀の塊がちょこまかとついてくる。

「だから、あたしは飼えないんだったら」

 

 自分独りの人生だって覚束おぼつかない22歳、仔犬とはいえ一つの命に責任なんて持てない、そんな気がした。

 

 少し早足になってもついてくる仔犬を振り切るように、あたしは次第に駆け足になっていく。早朝からのジョギングは結構キツくて、森から海沿いの道へ出たあたしは肩で息をしながら前屈みになって立ち止まった。

 

 ぜぃぜぃぜぃぜぃ、はぁはぁはぁ。

 きゅぃん、きゃん、きゃん、きゅ~ぃっ。

 

 …え。

 

 

 

✵ ✵ ✵

 

 がつがつがつがつがつがつがつ。

 ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ。

 

 どれだけお腹が空ていたんだろう、仔犬が一心不乱にツナ缶(ちなみにノンオイル)を貪り食い、牛乳を爆飲している。

 犬には犬用のミルクを与えた方がいいと訊いたことがあるが、ペットショップはまだ開店前の時間だし非常事態だ。

 ツナ缶一個をぺろりと平らげ、まだもの欲しそうにあたしを見上げる仔犬を見ながら、どうしたものかと考える。

 

「ま、取りあえず、動物病院だよね。なにか病気があると困るし。それからペットショップで、キミの当面の食糧?」

 当面の、と言った言葉に、我ながらまだ飼うことへの迷いがあるんだけれど…。

 そうしてあたしは、いつもの朝食、ブラックコーヒーと温野菜、トーストをキッチンの小さなテーブルに並べた。

 

 コーヒーを一口飲んで、トーストをかりりと齧る。

「わぁふん」

 それを見た仔犬が、あたしの脚に両前足をついて半立ちになった。

「え、なに?欲しいの?」

 

 試しにトーストをちょっと千切って差し出してみると、ぱく、とひと口で食べた。

「マーガリンがついてるからね、おいしい?」

 仔犬は尻尾を懸命に振りながら、キラキラした期待に満ちた眼であたしを見上げてくる。

「え~、でも。これ、あたしの朝食なんだけど」

 もう一切れ、さらに一切れと、結局トーストはすべて仔犬のお腹に収まってしまった。

 

「もう、しょうがないなぁ」

 あたしはトーストをもう一枚自分用に焼いて、2杯目のコーヒーをカップに注ぐ。

 

 さすがにお腹いっぱいになったのか、仔犬はあたしの小さな古いお城を探索しはじめた。

 カフェテーブルとコンパクトな椅子2脚をやっと置けるスペースしかないキッチンから、居間兼仕事部屋にしている10畳の和室へ、きょろきょろと見回しながら入っていく。

 この家は古いけれど、昔の造りが功を奏して、10畳といっても現代のマンションなどよりは広い。

 

 畳の上に割に上質のふかふかな楕円のラグを敷いて、二人掛けのソファとローテーブルを置いた一角が居間、のつもり。反対の壁際に、本棚とコンピュータを置いた机を配したスペースが仕事の空間だ。

 

 そしてこの家には、なんと縁側がある。その縁側続きにもう一部屋8畳の和室があって、そこはクローゼットとベッドを置いた寝室になっている。

 縁側の先は、小さいけれどブロック塀で囲まれた庭だ。特に手入れもしていないから、前々からあった木蓮の樹と草花が勝手に生えている。

 縁側の横には、屋根裏部屋へ続く階段がある。急勾配の階段の存在を思い出して、あたしは慌てて仔犬の後を追った。

 

「あ、こら。危ない」

 急勾配の階段に前足を掛けている仔犬を抱き上げると、あたしはゆっくりと屋根裏へ昇った。

 ときどき寝転がりにくるから、敷きっぱなしのマットレスとクッションが置いてある屋根裏部屋を、仔犬は興味深そうに探索する。

 低い位置にある天窓の淵に両前足を掛けて屋外を覗いたり、クッションの上でジャンプしたり、隅に置いてある重ねた本に乗って崩したりしている。

「ふふ、気に入った?ここ、いいでしょ?秘密基地みたいで」

 そう言いながら、あたしは敷きっぱなしのマットレスの上に寝転がった。仔犬も真似するように傍らへすり寄ってくる。

 

 もふもふのやわらかさと、自分よりちょっと高い体温を感じながら、初めて自分が泣くことも忘れてしまったほど孤独だったことに気づいた。

 

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