いつか王路さまが 第5話 R15

 

第5話 銀色の雨

 

「ウルフ、お誕生日おめでとう」

「うん、ありがとう、ユイ」

 ウルフは、「いいのか?」とはもう問わなかった。

 ウルフに唯一つがいになってと言われたあの日から、あたしたちは答えを確かめるように生活してきたから。1日1日大切に、そしてその日の終わりは屋根裏部屋で寄り添って迎えた。

 明日が、また同じように来ることを信じて。ふたりの気持ちが今日と少しも変わっていないことを信じて。そしてもっともっと、通じ合えることを確信して。

 

「…ユイ」

「…ウルフ」

 繋がろう、もっと深く、もっと強く。決して離れないように、一つになろう。確かめよう、ふたりが唯一つがいであることを。

 

 屋根裏部屋の天窓から、銀色の満月が見える。星のない夜だった。

 その月と同じように銀色に輝くウルフの髪が、ふわりとあたしの頬にかかる。次に優しい口づけが落ちてきて、ああ、人間の姿のウルフとキスするのは初めてだなぁなんて思う。

 

 あたしの初めては、もちろんそれだけではない訳で。でも7回も生まれ変わったウルフは、きっと初めてではない気がするんだけれども…。ウルフの初めてって誰だったんだろう?訊いたら教えてくれるのかな?

 

 緊張から、ズレたことを考えてしまうあたしに、ウルフは甘く囁いた。

「ユイ、可愛い。俺の唯一つがい

 ウルフの首にぎゅぅ、としがみつく。ごめん、苦しいよね?でも…。

 ふふ、ウルフは余裕で笑うと、そっとあたしの両手をその首から外した。

「大丈夫、怖くないから」

 

 人間の姿のウルフに、あたしの大好きな肉球はないはずなのに、あたしをさわさわと撫でる指が甘く切なく心地いい。

 それから人の姿になっても長い舌が、ぴやりとあたしの首筋を舐め上げて、あたしは思わず喉を反らして声を漏らす。

「や…ぁん」

 その声を嬉しそうに受け止めて、ウルフの舌はさらにあたしの躰の上で悪戯をする。

 

 ああ、あたし、耳が弱いんだ。耳の輪郭から耳朶まで、温かな舌に愛撫されて、そんなことも初めて知る。

 うなじをウルフの長い指がつつっと撫で降りて、鎖骨にかりりと歯を立てられる。様々な刺激に翻弄されていると、今度は深いキスが「俺を感じて」とばかりに意識を鷲掴みにする。

 ああ、ウルフ、こんなにも愛おしいなんて。自分以外のひとを想うことが、こんなにも苦しいなんて。

 

「ユイ、俺のユイ。俺だけの唯一つがい

 そう言われて眼を開けたら、ウルフの熱のこもった切なそうな瞳に捕まった。

「ウルフ、そんな眼をしないで」

「俺、どんな眼をしている?」

「…きっと、あたしとおんなじ眼」

「…わかった」

 ウルフが、あたしのささやかな2つの膨らみを両手で包む。壊れものを扱うみたいに優しく揺らすから、嬉しくて涙が滲む。それからウルフは、さらに優しくその2つの頂点に甘い刺激を与える、舌で指先で、何度も交互にあやすように。

 

「痛くない?」

 痛くなんかない、気持ちいい。

 眉をきゅっと寄せて、快感に涙ぐみながら、あたしはかぶりを振る。

 そして、なんだかわかってしまった。ウルフもきっと同じことをして欲しいんじゃないかって。

 だから、あたしはそっとウルフの耳朶を噛む。

 

 ちょっとウルフが驚いたような表情をしたから、あたしは自分の積極さに顔が火照る。

「ウルフも…してほしくない?同じこと…」

「ユイ…わかるの?」

「うん、たぶん…唯一つがいだから?」

「…っユイ!」

 心のままに、感じるままに、あたしたちは舐め合い、愛撫し合い、愛おしさを伝え合う。指で、舌で、眼で、表情で、全てで。

「ユイ、いい?」

 心も躰も、もうとろとろに溶けあって、ウルフがあたしなのか、あたしがウルフなのかわからなくなった頃、あたしたちは本当の意味で一つになった。

 痛みも幸福も、仲良くわけ合って。

 

「ユイ。ユイが痛いと、俺はここが痛い」

 ウルフは筋肉で綺麗におおわれた彫刻のような胸を、長い人差し指で叩いて言った。

 あたしの初めては、あたしたちの初めては、とてもとても感動的で神聖だった。

 

 こんなにも満たされて、こんなにも泣きたくなる行為があるなんて知らなかった。

 

「ウルフ…」

「ユイ…」

 銀色の月と、それと同じくらい美しいウルフの銀髪に誓って言う。

 この夜、この瞬間あたしは、もう死んでもいいと思うくらい幸福だった。

 

 

✵ ✵ ✵

 

 それから、数週間が経って。

 ウルフは物思いに沈むようになった。

 本人は隠しているつもりだけど、やっぱりわかってしまう。

 とくに月の美しい夜は、夜中に目が覚めるとベッドにウルフの姿がない。

 ああ、またきっと屋根裏部屋に行っているんだ。

 

 ねぇ、ウルフ、どうしたの?

 後悔してるの? あたしと唯一つがいになったこと。

 あたしの隣で眠るより、独り屋根裏部屋で眠る方が安心するの?

 教えて、どうして何も言ってくれないの?

 

 

 気持ちのいい朝だった。

 いつものように犬型のウルフと朝の散歩へ出掛けた。

 ウルフはいつの間にかまたひと回り大きくなって、犬型でもあたしより大きい。田舎だから、早朝出会う人は少ないけれど、たまに会う人がちょっと怯えてヒクくらい、いまのウルフは大きい。

 

 爽やかな大気を深呼吸したせいだろうか、朝食のテーブルについたウルフはいつもより明るい笑顔だった。

 香りのいいコーヒーを飲んで、こんがり焼けたトーストを食べ、フルーツみたいに甘いトマトともぎたてのきゅうりを使ったサラダ、2軒先のおばあちゃんがくれた生みたて卵のオムレツを食べる。

 ウルフもあたしも、今朝はなんだかお腹が空いて食欲旺盛だ。

 

「ふぅ、旨かった。ご馳走さん」

 機嫌のいいウルフの声に、あたしは少し迷ったけれど、思い切って訊いた。

「ねぇ、ウルフ。なにか、あたしに隠してることない?」

 ウルフは一瞬だけ、驚いた表情になったけれど、やがて静かな微笑みを浮かべて言った。

「やっぱり、唯一つがいにはかなわないなぁ」

 あたしはあたたかいコーヒーを、もう一杯ずつ入れてウルフの前に座った。

「なにを訊いても、驚かないよ」

 

 

 あたしたちが一つになって何日か目の深夜、ウルフは何かに呼ばれる気がして、独りで屋根裏部屋に行ったのだそうだ。

 そうして、見えてしまった。自分の本当の姿、本来の居場所。

 

「ユイ、俺は犬じゃなくて、コーダという生きものらしい」

「コーダ?」

 訊いたことのない名前に、あたしは怪訝な面持ちで首を傾げる。

「うん、コーダは犬でも狼でもない。独自の文化と生息地を持つ。コーダの森と言うところで、群れをなして生活しているんだ」

 

「コーダの森?それは、ウルフと最初に出会ったあの、こんもりとした森のこと?」

 ウルフがゆるっと首を振って、綺麗な銀髪がさららと揺れた。それがとてもセクシーで美しいと、あたしはまた場違いなことを思った。

「コーダの森は別世界にある。そこが俺を呼んでいる」

「呼んでいる?」

「うん。月の美しい夜、屋根裏部屋に行くと、声のようなテレパシーの音のようなものが聞こえるんだ」

 それは、ウルフだけを呼んでいるの?唯一つがいであっても、あたしは呼ばれないの?

 

「それに、俺はコーダの中でも突然変異した種類らしい」

 初めて訊くことばかりで、あたしは混乱しはじめていた。

 突然変異って、なに?

「コーダの中でも、人間の言葉を話すヤツや、俺みたいに人間の姿と獣の姿を行き来するヤツがいるらしい。そして、そんな突然変異した異質なコーダは、コーダの森では受け入れられないみたいなんだ」

「呼ばれているのに、受け入れられないの?」

 あたしの不安は、増すばかりだ。

 

「そんな異質なコーダ達が目指す、ユートピアがあるらしい。俺を呼んでいるのは、どうやらそこに棲む誰かだ」

「誰かって、誰?」

 ウルフは、すぅと眼を細めて、空を凝視する。

「ダメだ、まだ、見えない」

 

「…ウルフ」

 あたしはますます不安になって、ウルフの手を握った。

 そんなあたしを、ウルフははっとしたように見る。

「ごめん、こんな突拍子もない話をして。でも、ずぅっと呼ばれていて、それが誰かものすごく気になって、ユイにいつ、どうやって話そうかとずっと悩んでいたんだ」

「話してくれて…ありがとう」

「…ユイ」

 

 そうだ、ウルフが独りで思い悩んでいるより、話してくれる方がずっといい。だってあたしは、彼の唯一つがいなのだ。それも何度生まれ変わっても、永遠の。それを信じなくて、なにが唯一つがいだ。

「ユイ、俺、いや俺たち行かなくてはいけない気がするんだ」

 …その、ユートピアに?どうやって?

「ユイ、一緒に行ってくれるか?」

「あたしたちはいつだって、どんなことがあったって、一緒だよ。でも、本当に行かなくちゃいけないの?」

「うん、たぶん」

 それなら、行こう。ウルフが行くしかないなら、一緒に行くだけだ。

 

「いいよ」

 さらりと、まるで近所へ散歩にでも行くみたいに気軽に答えたあたしに、ウルフがまた驚いたように榛色はしばみいろの眼を見開いた。

 可笑しい、ウルフ。なんで驚くの?

 いつだってどこでだって、あたしたちは一緒だって、もう運命の神様が決めたんだよ?あたしに不安は、もうこれっぽちもなかった。

 

 それからあたしは、本当に久しぶりに実家へ帰った。父と母、弟に「ちょっと外国へ、旅行へ行くつもり」と伝えるために。

 どこかわからない別世界だから、外国でも間違いではないだろう。たぶん永遠に消えてしまうことは…ごめんね。

 そしてお世話になっている編集部に、「少し充電期間を取りたいんです」と言って最後の原稿を手渡ししてきた。

 たいした作家でもないのに、充電期間なんて生意気だと我ながら思うけど、それもすんなり受け入れられた。

 それだけだった、あたしのこの世界での最後にするべきこと。なんてシンプル。

 

 

「ユイ、俺たちが目指すユートピアでは、この世界の7倍の寿命があるらしい」

 ウルフには、少しずついろんなものが見えはじめているようだ。

 7倍長い人生か…それがいいことなのか悪いことなのか、いまはまだわからない。

 ただ、わかることは、ウルフさえいればなにも怖くないということ、それ以外は何も求めない。なんてシンプル、なんて心地いい。

 

 

 星のない夜、銀色の美しい月が、屋根裏部屋の天窓から見える。

 あたしたちは、心静かにそのときを待った。

 夜空が急に明るくなって、銀の月が細かな光に砕けた。砕けた光は、まるで銀の雨のように天窓の硝子をやすやすと通り抜けて、ウルフとあたしの上に降ってくる。

 身体が急に軽くなって、ウルフとあたしは銀色の雨に包まれた。そして、雨とともに静かに消えた。この世界から、この世のすべての関わりから、永遠に。

 

 

✵ ✵ ✵

 

 バカみたいな値段で売られている海辺の街の古い家を、独りの女性が買った。

 彼女はフリーのプログラマーで、コンピュータとネット環境があれば、どこでだって仕事ができる。

 3年つきあった恋人がいたけど、親友に寝取られた。親友は妊娠していて、彼らは結婚するそうだ。

 誰にも会いたくなかった。

 心配してくれる両親や家族、慰めてくれる友人、仕事を前より回してくれるようになった仕事仲間、全てが煩わしくて逃げてきた。この海辺の小さな街へ。

 

 彼女の日課は、早朝の散歩だ。

 ある朝、前々から気になっていたこんもりした森まで、彼女は足をのばしてみた。

 

 きゅぅ~い、きゅあん、きゅぃ?

 

「なに、仔犬?」

 その可愛らしい声の主はすぐに姿を現した。

 小さな小さな黒い毛のかたまり。仔犬にしては、ちょっと鼻が尖っていて、つり眼気味なのもかえって可愛い。

 

「やだ、お前。ちょっと、狼の仔みたいだね」

 しゃがんで頭を撫でる彼女の足に、黒いもふもふの塊がくぅ、とすり寄った。

 彼女の心に、忘れかけていた温かさがほんわりと灯った。だから彼女は、その小さな黒い塊を抱き上げて頬ずりしながら言った。

「可愛い…。ねえ、お前、あたしと一緒に来る?」

 

 

              -了-

← 第4話 へ   http://pinmomo.fun/?p=738

※最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

※「コーダ」という名前が突然出てきて、この物語の中では何もわからなくてスミマセン。

この話を書きながら、長編「のケモノ、」のプロットが浮かんできてしまったのです。

『ムーンライトノベルス』投稿中の「のケモノ、」は、現在絶賛ストップ中ですが、必ず完結させますのでどうか気長におつきあいください。 m(__)m

 

タイトルとURLをコピーしました