僕とミナの短い一生

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blogだけ小説「僕とミナの短い一生」

 

「あら、可愛い。このがいいわ」

 この世に生を受けて、それが僕の最初の確かな記憶だ。

 

 ひょい、とその声の主は右手で僕を抱き上げた。

 金髪で赤い口紅を塗ったその女の顔が、間近に見えた。いい匂いがした。

「こっちも一緒にどうだい?」

 太い声がして、妹が僕の隣に差し出された。

 そうだ、僕には妹がいた。

 同じ日に生まれたが、僕の方が先に産まれ出たお兄ちゃんだと思っている。

 僕がこの世に生を受けて初めて抱いた強い願いは、このときの「どうか妹も一緒に」だった。

 思い返せば、その願いがかなえられたことは、この短い何とも形容のしがたい一生の中で起こった奇跡だったのかもしれない。

 

 

「どうしたんだ、その犬ころ達」

「ルロイのところに産まれたのよ」

「で?」

「あら、飼うわよ」

「お前がか?」

「あたしと、アンタがよ」

 アンタと呼ばれた男は、腕にタトゥーのある、割りにいいオトコだった。

「このたちにミルクをあげるわ」

「その前に、俺がお前に飢えてんだよ」

「ちょっと、ガッツかないでよ」

 男が本格的にガッツク前に、僕と妹はミルクをもらえた。

 妹と一緒にミルクを飲みながら、女が近くで嬌声をあげるのを聞いていた。

 

 やがてバスローブを着て、濡れた髪の女がそばにやってきて、妹をひょいと抱き上げた。

「このたちに名前がいるわ。アンタがつけてよ」

「ふん。お前が貰ってきたんだろ、お前がつけろよ」

 そう言いながら男もそばにやってきて、僕をわしっとつかみあげた。

「こっちはオスか、そっちは?」

「女の子よ」

 女がそう答えて、男に妹を見せている。

 男は興味なさそうに僕を放り投げると、つけっぱなしのテレビの方へ行ってしまった。

 

「ミナがいいわ。どう?」

 女が僕の方を見てそう言った。

「…くぅ」

 僕は飼い主となる女に、精一杯の感謝を込めて小さく鳴いた。

 女は満足そうに妹を床に置くと、僕に向かって行った。

「お前は、ジョイよ」

 こうして、僕と妹の名前が決まった。

 

 男と女は、一緒に暮らしているようだった。

 男は毎朝、ほぼ同じ時間に出かけて行って、あたりが暗くなった頃に帰ってくる。

 女はいつも男が出かけてから身支度をし、出かける時間もバラバラだ。

 ときどき、男ではない別の男を連れて戻ってくる。そして、何日か戻ってこないこともあった。

 男と女は、よく派手なケンカをした。

 女は物を投げることもしばしばだったので、僕とミナはケンカがはじまると安全な物陰に隠れるすべを覚えた。

 一度、女が投げた皿が壁に当たって砕け、そのかけらがミナの足を傷つけたことがあった。傷ついたミナの足を舐めてやりながら、僕は決心した。

 

 ミナは僕が守る。だって、お兄ちゃんだから。

 

 ある日、女が出ていって帰ってこなくなった。

 その数日前から、男は朝決まった時間に出かけることをやめ、明るいうちから家で酒を飲むようになった。

「新しい仕事を探しに行きなよ。昼間っから飲んでないで」

「うるせぇ。俺に指図するな」

「ろくでなし!」

「ろくでなしはお前だろ。お前がほかの男を連れ込んでるのを、俺が知らないとでも思ってるのかっ!」

 いつもより数倍激しいケンカが起こって、男はとうとう女を殴った。

 気がふれたように泣き叫んだ女は、荷物をまとめ出した。

「この犬どもを連れて行けよっ!」

「知らないわっ」

 

 こうして、僕とミナは一度捨てられた。

 

 女が出て行ってから、僕とミナの環境は劣悪の一途いっとをたどった。

 水もご飯も、次第にまともに与えられなくなっていった。

 トイレのために一度外へ出されると、そのまま何日か放っておかれることもふえた。近所の動物愛好家が通報したらしく、外に放置されることは減った。

 男は酒を飲んでいらいらすると、僕たちに当たるようになった。

 僕はミナの盾となって、何度も腹を蹴られた。

 

 だけど、僕はもう決めたんだ。

 僕がミナを守る。だって、お兄ちゃんだから。

 

 それでも、どんなに頑張っても、劣悪な環境の中でミナが衰えていくのを僕はどうすることもできなかった。

 かつて女が「具合が悪いんなら病院へ行けば?」と言っていたのを僕は思い出した。

 

(病院だ。ミナの具合が悪いんだ。病院へ連れて行ってくれ!お願いだから、ミナを!)

 僕は男が酔い潰れたすきを狙って、屋外へと吠えた。吠え続けた。

 

 ある日、近所の動物愛好家が男の家へやって来た。

 男と激しく口論して、帰って行った。

 その数分後、男はミナを抱えて車に乗り込んだ。

 

 病院へ連れて行ってくれるのか?

 お願いだ、ミナを元気にして!助けてやってくれ!

 

 僕は願った。願い続けた。

 だけど男が帰って来たとき、その願いが無残に砕かれたのを察知した。

 僕の心は、そのとき一度死んだ。

 

 数日後、ガラの悪い男が男を訪ねてきて、二人の男は出て行った。

 次の日から男は再び朝、同じ時間に出ていくようになったが、帰ってくるのは夕方まだ明るいうちだ。

 それでも男は以前より少し機嫌がよくなり、腹を蹴られることも減った。

 一度など、皿に残った肉を僕の方へ投げてよこした。

 

 僕はそれを食った。無様ぶざまほどこしを食いながら、ミナを想った。

 妹を守れなかったお兄ちゃんに、こうして生きながらえている意味はあるのか?

 ミナ、教えてくれ。

 

 ある日、男が僕を抱えて車に乗り込んだ。

 ミナがよく寝ていた、いまでは僕の生きる意味である一人掛けのチェアや壊れた家電なんかと一緒に、僕は車の中に積み込まれた。

 車が走り出した。

 男は窓を開け、上機嫌で鼻歌を歌っている。

 風の匂いがして、僕は悟った。

 ミナもこうして、車に揺られて行ったのだと。

 きっと同じ道、同じ行先。

 僕はそのことに、かすかに希望を見い出した。

 

 やがて、うっそうとした緑に囲まれた場所で車は止まった。

 そして男は、壊れた家電を遠くへ放り投げた。

 そして、ミナがよく寝ていた一人掛けチェアを抱えると、それも放り投げようとして一瞬躊躇ちゅうちょした。

 

 それは、この世に生まれて二度目の奇跡だった。

 何を思ったか、男はそのチェアを大きな木の根元に置いた。

 次に僕を抱えると、あっさりちゅうに投げた。

 そして男は何事もなかったように去って行った。

 

 僕が捨てられた2度目だ。

 だけど一度目はミナと、そして今度は僕の存在する意味と一緒だ。

 その存在する意味、ミナの匂いが染み込んだチェアへ僕は駆け寄ると乗った。

 鼻面はなづらを擦りつけて、ミナの匂いを求める。

 それからおもむろあたりを見渡した。

 

 ミナ。キミもここに捨てられたの?

 ごめん、お兄ちゃんは来るのが遅すぎたよね?

 ねぇ、ミナ。キミはどこにいるの?

 

 その夜は雨だった。

 チェアの下に潜り込もうとしたけど、結局ずぶ濡れになるのはかわらないことがわかったので、またチェアの上に戻った。

 ミナが捨てられた日に、こうして雨に打たれていなかったことを祈った。

 

 翌日はうって変わってカンカン照りだった。

 布張りのチェアが乾くのはありがたかったが、ミナの匂いも薄れていく。

 僕は薄れていくミナの匂いを求めて、必死でチェアに鼻面はなづらを擦りつけた。

 星の美しいいくつもの夜、風が木々を揺らすいくつもの爽やかな朝、そして鳥の声や獣の咆哮ほうこうを遠くに聞きながら僕は日々を過ごした。ほんのわずかでも、ミナの気配がしないかと耳を澄ましながら。

 

 ミナ。僕はもう歩くことすらままならない。

 ミナ。キミを探しに行くことすらできない。

 

 

(お兄ちゃん)

(ミナ!ミナなのか?)

 かすれていく意識の中で、僕はミナの姿をはっきりと見た。その声を間近に聞いた。

 

 ミナは、とても元気そうだった。

 ねるようにして近づいてくると、不服そうに小首をかしげた。

(お兄ちゃん、遅いよ。ミナ、ずっと待ってたんだよ。)

(ごめん、悪かった)

(でも、来てくれたから許してあげる)

 ミナはそう言って僕を舐めた。いたわるように、いつくしむように、舐め続けてくれた。

 僕の魂は、震えた。

 やっと、会えた。ミナ。

 

 

 それから数か月後。

 キャンプに来ていた数人のグループが、一人掛けチェアの上に乗っている小さな骨を見つけた。

 可哀想に思った彼らは、穴を掘り、地中にそれを埋めた。

 

 信念で行動する人たちも、きっと大多数の動物愛にあふれた人々も。

 そして少数であってほしい、誰かの痛みをわかるという、当たり前の想像力が欠如した不幸なやからも。

 きっと知らない。

 ジョイが、とても幸福な夢の中で魂を昇華させていったことを。

 

 ミナ、待って。 今度こそ、ずっと一緒だ。

 そして、これからも、いつだって。

 ミナのことは僕が守る。だって、お兄ちゃんだから。

 

 

 

        -了ー

 

※ふと目にしたニュースにインスピレーションを得て、書いた物語です。

その記事はこちら。

【海外発!Breaking News】投棄されたソファーに座り飼い主を待ち続ける子犬(米) | Techinsight(テックインサイト)|海外セレブ、国内エンタメのオンリーワンをお届けするニュースサイト
身勝手な飼い主による動物虐待や飼育放棄は、残念ながら後を絶たないようだ。このほどアメリカで、捨てられた子犬が道端の不法投棄されたソファーに座って飼い主が迎えにくるのを待っている姿が捉えられた。『New York Post』『WLBT News』などが伝えている。 米ミシシッピ州ブルックヘイブン警察の動物管理部

犬や猫、そのほか様々な動物たちが最期まで幸せに生きられる社会のために出来ることからしたいと思います。

だって、人間だから。

 

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