妄想ダイアリー「この世界にキミが居るだけで」

今年も大学街の桜並木は、同じようにきれいだった。

懐かしい感覚を十二分に堪能して、咲月さつきはゆっくりと

胸に漂う感傷に背を向けた。

 

静寂がやがて喧騒けんそうに変わる。

さっきとは違う表情を見せる大学街の一角に、

二十歳はたちのときにアルバイトをしていた喫茶店がある。

雑居ビルの狭い階段をトントントンと上ると、

自動ドアではないカランとした音色が咲月を出迎えてくれた。

 

「あら、咲月ちゃん。いらっしゃい」

エプロン姿のママがそう言った。

カウンター越しに厨房をのぞくと、ママの旦那さんであるマスターが

軽く手をあげて挨拶をしてくれた。

 

ランチタイムを過ぎた14時過ぎの店内は比較的すいていて、

咲月はお気に入りの席に腰かけることができた。

見上げた壁には、何枚かの外国人の子供の写真が貼ってある。

その下に設けられたコーナーには、その子たちに関する記録ファイル。

そして、目立たないように置いてあるのは募金箱だ。

 

お水とおしぼりを持ってきてくれたママに、

咲月は白い封筒を渡す。

「これ、今月分。いつもよりちょっと少ないけど」

「毎月毎月、悪いわね。ムリしなくっていいのよ」

そう気づかってくれるママに、咲月はホットミルクティーを注文した。

 

 

✵ ✵ ✵

 

ハンナと出逢ったのは、咲月がここでアルバイトをはじめて

3か月が経った頃だった。

その頃、ママとマスターは古くからの友人に誘われて、

ある支援活動に取り組んでいた。

海外でお金がなくて学校に通えない子供たちを支援するという活動だ。

古い友人は異国まで足を運んで、現地の教会のシスターたちとともに、

支援を求める子供たちに会い、必要な物資やお金を渡していた。

 

そして支援を受けた子供たちがつたない字で書いた

「ごしえん、ありがとう」という手紙を支援者たちに届けていた。

またその子供たちが実際にノートや鉛筆を手にして喜ぶ姿や、

中学に通えた、高校まで行けたという事実をレポートにして

配布もしていた。そのレポートをまとめたのが、

この喫茶店にもある数冊のファイルだ。

 

「ねぇ、ママ。あたしも支援できないかな」

そう言って、咲月が最初に支援できた金額はたったの1000円だった。

でも、その咲月の1000円はハンナという当時十二歳の少女の

学費の一部になった。

「ごしえん、ありがとう」という直筆の手紙と、ハンナが学校を続けることが

できるようになったというレポートは二十歳はたちの咲月の心を震わせた。

 

あれから五年。

ハンナは十七歳の高校生になり、とても優秀で

イギリスの大学に行くことを夢見ているという。

 

咲月は、あらめて壁に貼ってある写真を眺める。

記憶にある十二歳のハンナは、おびえた、でも意志の強そうな黒い瞳をした

浅黒い肌の少女だった。硬い表情でシスターの服の端をつかんで立っていた。

いま壁に貼ってあるハンナの写真は、瞳に宿った強い意志は変わらないけれど、

笑っている。そして独りで、すっくと立っている。

 

 

ハンナ。

行ったこともない異国の、逢ったこともないあたしの妹。

でもキミが写真の中で笑っているだけで、あたしは勇気をもらえる。

助けられているのは、むしろあたしの方なんだよ。

 

ハンナ。

この世界にキミが居るだけで、あたしは明日を信じることができるんだ。

ありがとう、ね。

 

 

 

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